行徳・南行徳エリア

市川市行徳ふれあい伝承館

市川市本行徳35-7(主屋)、市川市本行徳37-13(休憩所)

  • 旧浅子神輿店の店舗兼主屋。

    旧浅子神輿店の店舗兼主屋。

行徳の神輿作りなどの文化と歴史が学べる新たな観光スポット

「市川市行徳ふれあい伝承館」は、国登録有形文化財である“旧浅子神輿店の店舗兼主屋”と“休憩所”のふたつの施設を、市川市が整備して完成した施設です。浅子神輿やその店舗を中心にかつての街並みを再現したジオラマや旧浅子神輿店の歴史、五ヶ町例大祭の祭り、行徳の歴史などがパネルや写真展示されています。神輿に使われた鳳凰などの現物や下絵の資料など、ここでしか見ることができない貴重な資料も多く展示されています。代々受け継がれた“浅子周慶”の技術や代による神輿製作の違いなどを知ることができる楽しい観光スポット。今後はワークショップなども展開予定とのことなので、興味のある人はホームページなどで確認を!

  • 入口の左右に見事な煌びやかな神輿が並ぶ。

    入口の左右に見事な煌びやかな神輿が並ぶ。
  • 旧浅子神輿店の神輿の製作風景を大きなパネルで展示。

    旧浅子神輿店の神輿の製作風景を大きなパネルで展示。
  • 旧浅子神輿店の歴史が分かるコーナー。

    旧浅子神輿店の歴史が分かるコーナー。
  • 日本一の黄金神輿“富岡八幡宮本社神輿”の
製作工程から江戸時代の御船渡御の再現風景を紹介。

    日本一の黄金神輿“富岡八幡宮本社神輿”の 製作工程から江戸時代の御船渡御の再現風景を紹介。
  • 行徳で行われる「五ヶ町例大祭」の様子を鑑賞できる。

    行徳で行われる「五ヶ町例大祭」の様子を鑑賞できる。
  • 赤漆で作られた16代浅子周慶作の神輿。

    赤漆で作られた16代浅子周慶作の神輿。
  • 珍しい白漆で作られた15代浅子周慶作の神輿。

    珍しい白漆で作られた15代浅子周慶作の神輿。
  • 浅子周慶の神輿の大きな特徴は
“鳳凰”の美しさや表現力に顕著に表れている。
写真は16代浅子周慶作。

    浅子周慶の神輿の大きな特徴は “鳳凰”の美しさや表現力に顕著に表れている。 写真は16代浅子周慶作。
  • 写真は15代浅子周慶作。
15代と16代の違いを細部まで見比べてみよう!

    写真は15代浅子周慶作。 15代と16代の違いを細部まで見比べてみよう!
  • 「浅子型神輿之図」(神輿師15代浅子周慶作)。

    「浅子型神輿之図」(神輿師15代浅子周慶作)。
  • 入口左手の戸棚には、富岡八幡宮御本社神輿の
「鳳凰鋳型(塗金済)」が保存されている。

    入口左手の戸棚には、富岡八幡宮御本社神輿の 「鳳凰鋳型(塗金済)」が保存されている。
  • 富岡八幡宮御本社神輿の「鈴」や「台輪角金物」もある。

    富岡八幡宮御本社神輿の「鈴」や「台輪角金物」もある。
  • 和室には仏具や神輿に関する現物資料を展示。

    和室には仏具や神輿に関する現物資料を展示。
  • 「仏像」や「宮殿屋根」など当時描かれた下絵も残されている。

    「仏像」や「宮殿屋根」など当時描かれた下絵も残されている。
  • リアルな「鯨」や「飛魚」の絵。

    リアルな「鯨」や「飛魚」の絵。
  • 14代浅子周慶作の一木彫「毘沙門天」。

    14代浅子周慶作の一木彫「毘沙門天」。
  • 仏師として活躍していた浅子周慶について書かれた資料。

    仏師として活躍していた浅子周慶について書かれた資料。
  • 本久寺の鬼子母神像は明治後期に13代浅子周慶氏が製作し、
2007年に16代浅子周慶氏が修復したことが判明した。

    本久寺の鬼子母神像は明治後期に13代浅子周慶氏が製作し、 2007年に16代浅子周慶氏が修復したことが判明した。
  • 神仏具から神輿の製作へと変換を遂げた
浅子周慶の歴史について書かれた資料。

    神仏具から神輿の製作へと変換を遂げた 浅子周慶の歴史について書かれた資料。
  • 左は「一勇齋國芳画集」。
江戸末期の浮世絵師“歌川國芳”は、
文政初年から万延元年にかけての画号を
一勇齋國芳としていた。

    左は「一勇齋國芳画集」。 江戸末期の浮世絵師“歌川國芳”は、 文政初年から万延元年にかけての画号を 一勇齋國芳としていた。
  • 「五ヶ町例大祭」のビデオが流れ資料が展示されている。

    「五ヶ町例大祭」のビデオが流れ資料が展示されている。
  • 揉み手の白装束の衣装。

    揉み手の白装束の衣装。
  • “行徳神輿”の伝統的工芸品を展示。
写真左が雌獅子、右が雄獅子。

    “行徳神輿”の伝統的工芸品を展示。 写真左が雌獅子、右が雄獅子。
  • 「五ヶ町例大祭」は神輿の揉み方に特徴がある。

    「五ヶ町例大祭」は神輿の揉み方に特徴がある。
  • 最後に神輿を高く上にあげる。

    最後に神輿を高く上にあげる。
  • 日本固有の建具「障子」。

    日本固有の建具「障子」。
  • 「行徳のあゆみ」を年表で展示。

    「行徳のあゆみ」を年表で展示。
  • 左上:「塩作り」~行徳は江戸時代、関東で有数の生産量を誇る場所として製塩業が盛んだった。
右上:「行徳船と常夜灯」~江戸と行徳を行き交う船の運航が始まったのは1632年で当時は“行徳船”と呼ばれていた。その後、1804年頃になると成田山への参詣路として旅人の利用が多くなり、当初10隻だった行徳船も幕末期には62隻にも増え、江戸との往来がますます盛んになった。
左下:「ささやうどん店」~江戸時代、船着場の近くにあった笹屋は、うどん屋として大変繁盛した店だった。
左下:「蓮根栽培」~レンコン栽培は昭和40年頃までは行徳でも盛んだったが、高度経済成長期に入ると宅地化の波が押し寄せ、東西線の開通以降急速にこの辺りの蓮田は姿を消した。

    左上:「塩作り」~行徳は江戸時代、関東で有数の生産量を誇る場所として製塩業が盛んだった。 右上:「行徳船と常夜灯」~江戸と行徳を行き交う船の運航が始まったのは1632年で当時は“行徳船”と呼ばれていた。その後、1804年頃になると成田山への参詣路として旅人の利用が多くなり、当初10隻だった行徳船も幕末期には62隻にも増え、江戸との往来がますます盛んになった。 左下:「ささやうどん店」~江戸時代、船着場の近くにあった笹屋は、うどん屋として大変繁盛した店だった。 左下:「蓮根栽培」~レンコン栽培は昭和40年頃までは行徳でも盛んだったが、高度経済成長期に入ると宅地化の波が押し寄せ、東西線の開通以降急速にこの辺りの蓮田は姿を消した。
  • 行徳街道沿いに残っていた歴史的建造物を描いたのれん。
現存するのは、この建物と「笹屋うどん」跡、
塩問屋だった「加藤邸」のみ。

    行徳街道沿いに残っていた歴史的建造物を描いたのれん。 現存するのは、この建物と「笹屋うどん」跡、 塩問屋だった「加藤邸」のみ。
  • 江戸川で活躍した川船。
行徳在住の名舟大工・森健一氏が手掛けた最後の作品。
現物を正確に縮小して再現したもの。

    江戸川で活躍した川船。 行徳在住の名舟大工・森健一氏が手掛けた最後の作品。 現物を正確に縮小して再現したもの。

行徳散策の途中に立ち寄れる旧浅子神輿店前休憩所

旧浅子神輿店主屋の向いに併設されたのが「旧浅子神輿店前休憩所」。冷暖房が完備された天井の高い開放感のある空間は、ゆっくりと寛ぐことができる最適な場所です。地元の物産品を販売すると共に、今後はうどんなどの軽食も食べられるように準備を進めているそうです。市川市の観光パンフレットも置いてあるので、情報収集することも。行徳散策の途中に立ち寄ってみては?

  • 行徳街道(旧道)を挟んだ主屋の向いにあるのが「休憩所」。

    行徳街道(旧道)を挟んだ主屋の向いにあるのが「休憩所」。
  • 休憩所は「行徳四丁目」のバス停の目の前。

    休憩所は「行徳四丁目」のバス停の目の前。
  • 「休憩所」は“お休み処”とトイレ、駐車場を完備。

    「休憩所」は“お休み処”とトイレ、駐車場を完備。
  • 天井を見上げると、スギの無垢材よりも強度があり
頑丈なアカマツの柱が組まれている。

    天井を見上げると、スギの無垢材よりも強度があり 頑丈なアカマツの柱が組まれている。
  • 冷暖房設備が整えられた空間で休むことができる。

    冷暖房設備が整えられた空間で休むことができる。
  • 「五ヶ町例大祭」の様子を描いた版画。

    「五ヶ町例大祭」の様子を描いた版画。

【DATA】

市川市行徳ふれあい伝承館

  • 住所:市川市本行徳35-7(主屋)、市川市本行徳37-13(休憩所)
  • 電話番号:047-300-8020(文化振興課)
  • 時間:10:00~17:00
  • 料金:無料
  • 駐車場:3台(無料)
  • 休日:月曜日(祝日の場合は翌火曜日)、年末年始(12月28日~1月4日)
  • ホームページ:http://www.city.ichikawa.lg.jp/cul01/1111000189.html
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