国府台・国分エリア
回向院市川別院 源光寺
市川市国府台5-26-12
阿弥陀様から発せられる“光”が感じられる本堂
朱塗りの山門をくぐると灯籠が立ち並び、木々が生い茂る小道を進むと、左手に竹林、右手に白い砂利が敷かれた広い庭があります。その奥には2009年2月に建て替えられた信徒会館と本堂があります。
この建築は第16回千葉県建築文化賞を受賞しています。野口瑠璃氏によると、「耐震や蓄熱も配慮したコンクリート造をすっぽり木造でくるむ手法に挑み、外観の自然と伝統の調和を図る一方、本堂内の祭壇の演出は巧みで現代的空間創出を成功させている」と総評している(市川市ホームページより一部抜粋)。
以下、回向院ホームページより
回向院は、今からおよそ360年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院です。この年、江戸には「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。当時の将軍家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりです。
この起こりこそが「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」として現在までも守られてきた当院の理念です。
回向院別院(源光寺)は、もともと東京都台東区浅草松葉町にありましたが、関東大震災によって壊滅的な被害を受けてしまいました。再建が困難とされる中、当時住職を兼務していた回向院第二十一世荘誉浄厳上人が、両国回向院の別院的存在として、1927年にこの場所に復興させたといわれています。
一言観音は、そもそも南都(奈良)唐招提寺の像と同じ木で彫られたもので恵心僧都源信作と伝えられ、また「近世江戸三十三観音参り」の二十七番札所(「江戸砂子」)として馬頭観音と共に庶民の信仰を集めていました。
回向院二世信誉上人の時に楼上に安置されましたが、その後、元禄十六年(1703)10月に四世観誉上人の夢枕にこの観音様が御立ちになって他所へ遷すべしと告げられたため、観誉上人はこの聖観音像を墓所へ遷すことにしました。ちょうどその年11月に大地震及び火災により当院は倒壊・類焼してしまうのですが、この移転により聖観音像は倒壊を免れました。そのことが知れ渡り信仰を集めるようになるとともに、その御前で一言願をかけると願い事が成就するという霊験が慕われ、いつしか一言観音と呼ばれるようになりました。
以下、千葉家県建築文化賞受賞記念の冊子より
庭園はランドスケープデザインの田嶋豊師の手によります。本堂前を「真」、信徒会館から見える景色を「行」、一言観音堂廻りを「草」として、デザインされています。雲形の苔に、桔梗が点在する「行」の庭は、阿弥陀さまが來迎の際に乗ってこられる、紫雲をあらわしています。
本堂内に身を置き阿弥陀さまの顔を拝むと、心が清められ自然と穏やか気持ちになるような気がする。
本堂ではミニコンサートを開催
回向院市川別院源光寺では、不定期的にコンサートを開催しています。2016年3月5日(圡)は、ソプラノ・バリトン・ピアノ・テノールによるミニコンサート。先着100名、誰でも申し込み可能。カフェテラス回向院での珈琲付きで鑑賞できます(1000円・電話かinfo@ekoin.or.jpで事前申し込みが必要)。
アクセスは、JR市川駅より「松戸車庫」行バスに乗り「国府台小学校前」下車徒歩約2分。もしくは、北総線「矢切」駅より徒歩約8分。
【DATA】
回向院市川別院 源光寺
- 住所:市川市国府台5-26-12
- 電話番号:047-372-2427
- 時間:常時開放。社務所は8:00~16:00
- 駐車場:30台(参拝者・カフェテラス回向院別院利用者に限る)
- ホームページ:http://ekoin.or.jp/