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市川・真間エリア

市川市郭沫若記念館・須和田公園

<市川市郭沫若記念館> 千葉県市川市真間5-3-19 <須和田公園> 千葉県市川市須和田2-34

  • 11月中旬の「市川市郭沫若記念館」の風景。

    11月中旬の「市川市郭沫若記念館」の風景。
  • 庭先で風に揺れる秋桜(コスモス)。

    庭先で風に揺れる秋桜(コスモス)。

日中友好の架け橋となった人物“郭沫若”氏の記念館

文学者であり歴史学者、そして、政治家である郭沫若(かくまつじゃく)氏。日本と中国の国交正常化のために尽力した人物でもあります。

1892年に中国・四川省楽山県(現楽山市)にて誕生。その時の名は“開貞”でした。通常は“開堂”、後に故郷を流れる河の名から“郭沫若”を名乗るようになり、他にも40余りのペンネームを使い分けていたのだとか。

1914年に日本へ留学し、東京第一高等学校(旧制)の特設予科で日本語を学び、岡山第六高等学校を経て、1918年に九州帝国大学医学部を入学。この間、入院中の友人を見舞い聖路加病院を訊ねた時に、当時、看護婦見習いだった佐藤をとみさんと出会い、後に、一緒に生活を始めます。

在学時から文学活動に励み、1921年に文学団体「創造社」を設立。その後、国民党に参加し、北伐軍の総政治部主任となりますが蒋介石と対立。中国共産党に加入すると、蒋介石に追われ1928年に日本に亡命し、その後の10年余りを千葉県市川市で暮らすことに。その間は中国史の研究に没頭したそうです。

1937年に日中戦争が本格化すると、抗日戦争に参加するために、をとみさんと子どもたちを日本に残し帰国。その間、母国で戯曲「屈原」を発表し反響を呼びます。戦後は中華人民共和国に参画し、政務院副総理、中国科学院院長に就任。その後、数々の刊行物を出版、「ファスト」の翻訳、政治家としても活躍する。

1964年、中日友好協会名誉会長に就任。周恩来総理を助け、日本各界の訪中団と会見して日中国交正常化を促進。やがて、1972年、国交正常のために訪中した田中角栄氏を故宮に案内。中日両国政府による共同声明が発表され、国交正常化が実現しました。沫若氏80歳の時だったそうです。

文学・史学の指導にも努め『蔡文姫』、『武則天』などの作品は高く評価され、これまでにも繰り返し上演されています。

1978年6月12日、北京で逝去。享年86歳。その2か月後の8月12日、ついに「日中平和友好条約」が締結されました。

沫若氏は、生涯に3度結婚したそうです。最初に結婚した張瓊華さんは親の決めた相手で、1912年に結婚。5日後に家を出て成都に戻ったのだとか。子どももなく離婚もしていないので、法律上は張瓊華さんが沫若氏の正妻となるそうです。

二度目の相手が佐藤をとみさんで1916年に結婚。1923年に上海へ移りますが、1928年に国を追われ約10年間にわたり、をとみさんや5人の子どもたち(息子が4人と娘が1人)とともに、市川市で亡命生活を送りました。 そして、三度目の相手が元女優の于立群さん。4人の息子と2人の娘を生みました。

市川市内を3度移り住む中で、3カ所目の旧宅を2004年に市川市真間の現在地に移籍復元したのが「市川市郭沫若記念館」です。

この家屋は1930年に建築された後、1933年に和室6畳2部屋を建て増し6畳間が4部屋と8畳間が1部屋で構成された木造茅葺平屋建ての家屋。

1930年から1937年7月25日まで郭沫若氏が居住していた家として再現しています。

  • 書斎として使われていた6畳間全景。

    書斎として使われていた6畳間全景。
  • 書斎。

    書斎。
  • 書斎手前の6畳間。

    書斎手前の6畳間。
  • 沫若氏の業績を紹介した資料や記念館を訪れた人の色紙も展示されている。

    沫若氏の業績を紹介した資料や記念館を訪れた人の色紙も展示されている。
  • ガラスケースには1907年、高等小学堂卒業証書(レプリカ)や1910年、
高等分設中学堂3年第5学期終了証書(レプリカ)なども展示されている。

    ガラスケースには1907年、高等小学堂卒業証書(レプリカ)や1910年、 高等分設中学堂3年第5学期終了証書(レプリカ)なども展示されている。
  • 左上が1936年頃の郭沫若氏。右上が1945年頃の妻の佐藤をとみさん。
下が1987年の夏に撮影された7人家族の郭家。

    左上が1936年頃の郭沫若氏。右上が1945年頃の妻の佐藤をとみさん。 下が1987年の夏に撮影された7人家族の郭家。
  • 沫若氏の関連図書が並ぶ。

    沫若氏の関連図書が並ぶ。
  • 建築当初の状態に合わせ、木製のガラス戸に復元された引き戸。
ガラスは現在、製造されていない特殊なものなので、建物自体の希少価値も高い。

    建築当初の状態に合わせ、木製のガラス戸に復元された引き戸。 ガラスは現在、製造されていない特殊なものなので、建物自体の希少価値も高い。
  • 結婚式の時に身に着けた衣装。
他にも少年時代の衣装や人民服なども展示されている(全てレプリカ)。

    結婚式の時に身に着けた衣装。 他にも少年時代の衣装や人民服なども展示されている(全てレプリカ)。
  • 玄関を入った先にある8畳の和室。床の間の床柱は当時のもの。

    玄関を入った先にある8畳の和室。床の間の床柱は当時のもの。
  • 沫若氏直筆と伝えられる額縁に入れられた文字には
「1964年 秋 穆如春風 郭沫若」と記されている。
「これは、国交正常化に向けて大きく前進していた年に書かれたものです。
沫若氏が一番、心穏やかだった時かもしれません」
と話すガイドさんの言葉が印象的だった。

    沫若氏直筆と伝えられる額縁に入れられた文字には 「1964年 秋 穆如春風 郭沫若」と記されている。 「これは、国交正常化に向けて大きく前進していた年に書かれたものです。 沫若氏が一番、心穏やかだった時かもしれません」 と話すガイドさんの言葉が印象的だった。
  • 田中角栄氏を故宮に案内する沫若氏の写真。

    田中角栄氏を故宮に案内する沫若氏の写真。
  • 沫若氏の偉大な業績を知ることができる写真の数々。

    沫若氏の偉大な業績を知ることができる写真の数々。
  • 郭沫若旧宅のジオラマ。

    郭沫若旧宅のジオラマ。
  • 市川市内に於いて、沫若氏の足跡が分かる。
市川市内を3カ所、移り住んでいたことが伺い知れる。

    市川市内に於いて、沫若氏の足跡が分かる。 市川市内を3カ所、移り住んでいたことが伺い知れる。
  • 日本と中国の間を何度も行き来しながら各地で活動していたことがわかる。

    日本と中国の間を何度も行き来しながら各地で活動していたことがわかる。
  • 芝桜の開花時期の郭沫若記念館の景色。
白・薄ピンク・鮮やかなピンク、
3種類の芝桜と黄色い菜の花のコラボレーションが美しい。

    芝桜の開花時期の郭沫若記念館の景色。 白・薄ピンク・鮮やかなピンク、 3種類の芝桜と黄色い菜の花のコラボレーションが美しい。

歴史的価値の高い弥生時代の遺跡を含む公園

弥生時代後期の「須和田遺跡」を含む須和田公園。須和田遺跡は真間山の台地から東に延びる、長さ600mほどの須和田台地のほぼ中央にあります。この遺跡は弥生時代中期から平安時代初期の集落遺跡。発掘調査が行われた時、5棟の住居跡が発見され、布目瓦や文様瓦、文字を墨書きした土器などが出土されています。南関東地方に弥生文化が伝えられたのは西暦100年頃といわれていますが、その南関東地方で最初に出現した弥生式土器が須和田台地から出土し、“須和田式土器”という型式名で呼ばれるようになったのだとか。

JR市川駅から徒歩約15分、京成市川真間駅からは徒歩約11分の閑静な住宅街にある公園。バラ園もあり、春にはソメイヨシノが咲き誇る桜の名所としても親しまれています。

  • 「須和田公園」入口。公園前の歩道にある銀杏の木が色づきはじめている。

    「須和田公園」入口。公園前の歩道にある銀杏の木が色づきはじめている。
  • 1996年、市川市楽山市友好都市締結15周年を記念して、
市川市長と楽山市長の連名による記念碑を建立。

    1996年、市川市楽山市友好都市締結15周年を記念して、 市川市長と楽山市長の連名による記念碑を建立。
  • 公園の中ほどにある「須和田遺跡」。
以前は須和田遺跡を記念して、弥生時代の竪穴式住居が復元されていたが、不審火により全焼。
今はその片鱗が残るだけとなっているが、説明文があるので読むと当時の様子が分かる。

    公園の中ほどにある「須和田遺跡」。 以前は須和田遺跡を記念して、弥生時代の竪穴式住居が復元されていたが、不審火により全焼。 今はその片鱗が残るだけとなっているが、説明文があるので読むと当時の様子が分かる。
  • 郭沫若氏の「須和田に別る」の詩碑。
氏のレリーフは、市川市名誉市民の彫刻家・故大須賀力氏によるもの。

    郭沫若氏の「須和田に別る」の詩碑。 氏のレリーフは、市川市名誉市民の彫刻家・故大須賀力氏によるもの。
  • 園内にはバラ園がある。春から秋にかけて色とりどりのバラが楽しめる。

    園内にはバラ園がある。春から秋にかけて色とりどりのバラが楽しめる。
  • 「伊豆の踊り子」と名付けられた黄色いバラ。春から晩秋まで咲き続けるそう。

    「伊豆の踊り子」と名付けられた黄色いバラ。春から晩秋まで咲き続けるそう。
  • 「ジュビレ デゥ プリンス ドゥ モナコ」。赤と白はモナコの国旗色。
このバラはメイアン社から、ハリウッド女優からモナコ公妃になった
故グレース・ケリーに捧げられたバラ。

    「ジュビレ デゥ プリンス ドゥ モナコ」。赤と白はモナコの国旗色。 このバラはメイアン社から、ハリウッド女優からモナコ公妃になった 故グレース・ケリーに捧げられたバラ。
  • 大きな銀杏の木の下には滑り台、ジャングルジム、ブランコがある。
小学生たちの遊び場となっている。

    大きな銀杏の木の下には滑り台、ジャングルジム、ブランコがある。 小学生たちの遊び場となっている。

【DATA】

市川市郭沫若記念館・須和田公園

  • 住所:<市川市郭沫若記念館> 千葉県市川市真間5-3-19 <須和田公園> 千葉県市川市須和田2-34
  • 【市川市郭沫若記念館】
  • 電話:047-372-5400
  • 開館:金・土・日の10:00~16:00(最終入館は~15:30)
  • 料金:無料
  • 休日:月~木(祝日でも閉館。但し、芝桜の見頃となる4月1日~ゴールデンウィークまでは休まず開館)
  • 駐車場:なし
  • 【須和田公園】
  • 常時開放
  • 電話:【市川市 水と緑の部 公園緑地課】047-712-6367
  • 市川市ホームページ:http://www.city.ichikawa.lg.jp/cul01/1531000031.html
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